ひのえうま(丙午)
来年の2026年は60年ぶりのひのえうま(丙午)となります。
前回のひのえうま(丙午)は1966年(昭和41年)に生まれた方が該当します。
前回(1966年)のひのえうまのどうだった?
1 出生率が前年の25%も減少した。
2 お見合いによる結婚には、ひのえうまの女性は苦労した。
3 昭和25年以前に生まれた世代には敬遠されていた。
上1~2は、ひのえうま生まれの女性は【気性が激しく、嫁ぎ先に災害を齎す】などの風評があった
為、1966年に出産する事を控える・ひのえうまの女性の縁談が難しかった。
上3は、特に70歳以上の世代には【ひのえうま】のワードの影響力は計り知れません。
何故、ひのえうま生まれの女性に対する風評があったのか?
4 歌舞伎・文楽で知られる【八百屋お七】がモデルとされている。
5 恋する男性に会う為に放火事件を起こし、処刑された。
6 お七が丙午生まれの女性として設定された。
上4~6は、歌舞伎・文楽での作品のキャラクターであり、実在の女性ではありません。
歌舞伎・文楽上の創作された女性にすぎません。
江戸期から明治期にかけて丙午の年には女児をもうけない風潮が広まりました。
大正末期から昭和初期にかけて、ひのえうま生まれを理由に結婚の拒絶・ひのえうま生まれを
苦にして自殺に追い込まれるケースが相次ぎました。
今の時代であれば、女性に対する立派なハラスメントとなり、ケースによっては犯罪になります。
戦前における男尊女卑の一例となります。
1966年のひのえうまでは、日本人の平均寿命が伸びた事で、この悪しき風潮が新聞・テレビ・雑誌
に明治時代のひのえうま生まれの女性の厄難が取り上げられて【ひのえうま騒動】となりました。
実際に1966年ひのえうま生まれの女性に対して婦人会でひのえうまの年には子供は産まないように
と話が出ていたが、これは他人が嫌がる事は避けましょうとの当事者に気持ちです。
昨今でこのケースに該当するのは、たつき諒氏の2025年7月5日に関する書籍の影響で東南アジア
からの海外旅行者が少なかった事があります。
確定した根拠のない風潮は想定外の事態を引き起こし、それを終息させる事は困難です。
次回はひのえうま生まれである女性のメリットについてアップします!
